京都泉涌寺七福神

都七福神 宝恵かご えびす船 最古の宝船図 泉涌寺七福神 二十日ゑびす 七福神Q&A

  

泉山七福神ともいわれているが、「京都泉涌寺七福神」が正式名称。色紙には「京都七福神」の朱印がある。泉涌寺山内の塔頭寺院で構成。創設年は不明。

 第一番 福禄寿    長寿・幸福
 第二番 弁財天    商売繁盛
 第三番 恵比須神   商業繁栄・海運守護
 第四番 布袋尊    知足福・家業繁盛
 第五番 大黒天    福徳
 第六番 毘沙門天   財宝自在
 第七番 寿老人    長寿・智恵
 番外   愛染明王   敬愛和合
 番外   楊貴妃観音 良縁・諸願成就

 
1月の成人の日(2006.01.09参拝)、午前7時から午後4時まで朱印・参拝できる。この日のみ9ヶ寺入場無料。寺によっては甘酒等の無料接待があり、また福笹も無料配布(ただし、福笹の飾り物は有料)。
 
 問合先 京都泉涌寺七福神会事務所
 京都市東山区泉涌寺山内町27 泉涌寺  電話075-61-1551
 泉涌寺 真言宗泉涌寺総本山

 天長年間(830年頃)、空海が東山のこの地に一宇の仏舎を営み、法輪寺と号したのが始まり。斉衡2年(855年)仙遊寺と改号。
 承元2年(1208年)、後鳥羽上皇の寄進により伽藍等が完成、そのときに清泉涌出し、泉涌寺と改めた。
 仁治3年(1242年)四條天皇の崩御が最初で、以後の天皇等(全部で19名の御陵がある。)の廟所として他と異なる崇拝を受けている。末寺41ヶ寺。
 現在の伽藍は、寛文4年(1664年)後水尾天皇の勅願で再興されたもので、敷地はおよそ14万平方メートル。。
 仏殿(写真)は、重層入母屋造り、本瓦葺で西面している。中に釈迦・弥勒・弥陀の三尊を安置している。
その他に舎利殿、開山堂、釈迦堂、寛文8年(1668年)の創建の霊明殿等の建物があり、国宝他重文を多数所蔵している。境内には泉涌水、夢の浮橋等の名跡がある。
 第一番 福禄寿 即成院

 伏見長者橘俊綱の創立で、本尊阿弥陀如来・二十五菩薩は重文、境内に那須与市の墓がある。
 10月中旬に行われる弥陀の来迎を表す二十五菩薩練供養と下(たれこ)の世話にならないという信仰で参詣者が多い。
 第二番 弁財天 戒光寺

 鎌倉時代曇照律師の創立で、後堀河天皇の勅願所、本尊釈迦如来は総丈三丈三尺、運慶・湛慶の合作で重文である。
 後水尾天皇の守護仏で、世に「身代わり丈六さん」と呼ばれ、首から上の病、胃、せんき等の御祈祷で有名。
 第三番 恵比須神 観音寺

 開基は弘法大師で、本尊は十一面観世音菩薩、西国三十三所十五番の札所で、新那智山今熊野の観音さんとして有名である。
 秋の彼岸は四国八十八所霊場のお砂踏法要が行なわれ参拝者が多い。 
 第四番 布袋尊 来迎院

 弘法大師の創立で、大師が独鈷で掘られた独鈷水が湧出している。荒神堂の本尊三宝大荒神・護法身は重文で、胞衣荒神ともいわれ安産の勅願所として信仰が厚い。
 境内に大石良雄建立の茶席含翠軒がある。
 第五番 大黒天 雲龍院

 北朝後光厳天皇の御創建で、霊明殿には北朝歴代の御尊牌を奉祀し、重文の本堂の本尊は薬師三尊である。
 ここで毎月27日に行なわれる如法写経会は、後円融天皇の御発願で参詣者が多い。
 第六番 毘沙門天 悲田院

 聖徳太子の開かれた悲田、施薬の両院に源を発し、本尊は阿弥陀如来、後花園を火葬し奉ってから勅願寺となり、また高槻藩主永井家の菩提寺で境内に同家の墓所がある。
 第七番 寿老人 法音寺

 後醍醐天皇の嘉暦年間の創立で、本尊は不空絹索観世音菩薩、本堂は英照皇太后御大祭の御須屋である。
 館山の城主本多家の菩提寺で書院は伏見桃山城の遺構の一部で、境内に本多家の墓がある。
 番外  愛染明王 新善光寺

 後嵯峨天皇が信濃の善光寺と同体同仏の阿弥陀如来を鋳造させ宮中で祀っておられたのを、都の人々が遠い信濃まで参詣に行くのが大変であろうと新善光寺を開き、本尊とされたのがこの寺である。
 番外  楊貴妃観音 総本山泉涌寺

 皇帝の御香華殿で、霊明殿には歴代の御尊牌を奉祀し、境内には多くの山陵が造営されており、御寺(みてら)と尊称されている。
 本堂である仏殿(重文)の本尊は運慶・湛慶の合作の釈迦、弥陀、弥勒の三尊仏で三世にわたって人類の安泰と幸福を守っておられる。
 観音堂には玄宗皇帝が楊貴妃のために作らせたと伝えられる聖観音像を安置している。


左の地図は道順です。

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(2006.01.20)

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