| と き 2012年1月9日(月) 午前11時から 新熊野(いまくまの)神社境内にて ところ 京都市東山区今熊野椥ノ森町42 ☎075-561-4892 「新熊野(いまくまの)神社発行のリーフレットから」 左義長(さぎちょう)神事のいわれ 左義長(さぎちょう)とは、小正月に行われる火祭りの行事です。正月に飾った門松や注連飾り(しめかざり)・書き初めを櫓(やぐら)に組んで焼却しています。その火で焼いた餅を食べるとその年の病を除くといわれており、当社では正月にお供えした鏡餅を参列者に振る舞っています。 この起源は平安時代の宮中行事ににあります。小正月に宮中の清涼殿東庭で青竹を束ねて立て、毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇や短冊などを添え、陰陽師(おんみょうじ)が謡いはやしながらこれを焼いたとあり、その年の吉凶をなどを占ったとされています。炎が高く上がると「吉」という意味で、毬杖(ぎっちょう)三本を結ぶことから三毬杖(さぎちょう)と呼ばれました。 宮中における神仏習合の始まり 奈良時代までは国家祭祀は全て神道形式で行われていました。聖徳太子が如何に仏教を推奨しようが、聖武天皇が大仏を建立しようが、それはあくまでも個人の信仰であり、国家の正式祭祀ではありません。その国家祭祀の中に初めて仏教祭祀が組み込まれたのが、現在、東寺で行われている後七日御修法(ごひちにちみしほ)で、嵯峨天皇(桓武天皇の第2皇子)の時代からです。 宮中では元旦早朝の「四方拝(しほうはい)」に始まり、14日まで延々と正月祭祀が続けられていましたが、嵯峨天皇以前は全て神道形式で行われていました。元旦から7日までの前半部分を神道形式で、8日から14日までの後半部を仏教祭祀で行うようにしたのが嵯峨天皇です。それゆえ後七日御修法と呼ばれました。 そして、1月15日の小正月に行われたのが正月祭祀に使われた神具を焼納するために行われたのが左義長神事です。つまり、左義長神事は神仏習合の始まりというべき神事なのです。また、火の燃え具合で吉凶を占うというのは陰陽道の思想です。 |
| (2012.01.09) |