10月 京の風物詩 船岡祭火縄銃三段打奉納2006

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船岡祭 火縄銃三段打奉納2006

2006年10月19日(木) 午前12時〜火縄銃三段打奉納
建勲神社(たけいさおじんじゃ) 地元では「けんくんさん」の通名の方が有名。
京都市北区紫野北舟岡町49  075-451-0170 


以下立看板から

御祭神 織田信長公

織田信長公は戦国の世を統一して民衆を疲弊絶望から救い、伝統文化に躍動の美を与え、西洋を動かす力の源を追求して新秩序確立し、日本の歴史を中世の混乱から近代の黎明へと導かれた。その為、信長公は行き詰った旧来の政治、社会秩序、腐敗した宗教等を果敢に打破し、日本国民全体の日本を追求された。
明治天皇より特に建勲の神号を賜い、別格官幣社に列せられ、ここ船岡山に大生の神として奉斎されている。


末社義輝稲荷(よしてるいなり)社

宇迦御霊大神(うかのみたまのおおかみ)、国床立大神(くにとこたちのおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の三柱を祀り、古くより秦(はた)氏の守護神として今日の西陣織の祖神をなしている。
伏見稲荷大社命婦(みょうぶ)社は船岡山の霊狐を祀っており、伏見稲荷の元宮として古来より信仰が絶えません。


船岡山(ふなおかやま)(全山史跡、風致地区)

船岡山は標高45m、周囲1300m、面積2万5千坪の優美な小山であり、その東南側は、建勲神社境内でとくにうっそうとした森に被われている。豊臣秀吉の頃より信長公の霊地として自然がそのまま残され、京都盆地特有の樹相が良く保たれている。樹種が極めて多く、帰化植物か゜ほとんど入りこんでいない京都市内で数少ない貴重な森とされている。

船岡山は聖徳太子の文献にもその名が出ており、又、京都に都が定められた時、北の基点となり、船岡山の真南が大極殿、朱雀大路となった。平安朝の昔には清少納言が枕草子で「丘は舟岡・・・」と讃え、又、大宮人の清遊の地として多くの和歌が残されている。

船岡の若菜つみつつ君がため 子の日の松の千代をおくらむ(清原元輔)

戦国時代の応仁の大乱の際、この船岡山が西軍の陣地となり、以来船岡山周辺一帯は西陣の名で呼ばれている。

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(2006.10.24)

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