| 京の風物詩 粟田神社大祭2008 京都市東山区上粟田口鍛冶町1番地 075-551-3154 2008年10月12日(日)午後6時30分〜 夜渡り神事 本行列出発。 阿古陀鉾と地蔵鉾を行列の中心に、十二灯を明かりとして行列し、氏子町内をお清めする神事。2008年は、ねぶたのような大燈篭(粟田大燈呂)が江戸時代以来復活した。 2008年10月12日(日午後6時55分〜 れいけん祭 知恩院の黒門前にある「瓜生石」にて 知恩院の僧侶と共に神事と祭礼を執行。 江戸時代に途絶えていた「れいけん」が1995年に復活した。 粟田神社(立看板から転載) 粟田神社は、旧粟田口村の産土神である。江戸時代までは感神院新宮、あるいは牛頭天王を祭ることから粟田天王社または粟田八大王子社と呼ばれていたが、現在は素盞鳴尊ほかを祭神とする。 社伝によると貞観18年(876)従五位上出羽守藤原興国世が勅を奉じて勧請したことに始まり、その後天台座主東陽坊忠尋大僧正が永久年間(1113〜18)に再建するが、応仁の乱で焼失し、明応9年(1500)に吉田兼倶が再興したという。 本殿・幣殿は昭和8年の棟札写から文化2年(1805)6月に焼失後、文政6年(1823)に再建されたことが明らかとなる。建物は、三間社流造の本殿の前に桁行二間・梁行三間で正面に方一間の拝所を付設した幣殿が接続する複合社殿である。拝所の彫刻装飾には時代的特色がみられ、また流造の屋根の前に入母屋造・妻入、さらにその正面に向唐破風造の屋根を続けて変化に富んだ外観をみせており、江戸時代後期の複合社殿として価値が高い。 拝殿は確実な史料を欠くものの元禄16年(1703)に建てられたと伝え、細部様式もこの頃のものと判断される。本殿・幣殿より建築年代は遡るものの、これらと一連のものとして貴重である。 |
| (2008.10.14) |