11月 京の風物詩 かにかくに祭2005

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京の風物詩  かにかくに祭 (ネットで大百科 世界大百科事典他インターネットで検索 )
 
 2005年11月 8日(火) 午前11時〜。 
 京都市東山区元吉町 祇園の白川巽橋畔。主催・祇園甲部組合
 京都・四条通りから大和大路を北へ白川を渡って石畳の道を東へ行った巽橋のそばに歌碑があります。
 「かにかくに」とは 歌碑に刻まれた「かにかくに 祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」と詠まれた歌に因む。
 祇園を愛した歌人で、昭和30年、吉井の古希の祝いに当時の京都市長ら数名が建立した。本来は吉井の誕生日である10月8日に除幕する予定であったが、諸般の都合で1月ずれての除幕となった。この5年後吉井は74歳で世を去った。献花は吉井勇氏の遺族を交え、祇園甲部の芸妓1名、舞妓3名が参加し、歌碑に献花を行なってその人柄を偲び、また霊を慰めた。今年は除幕後50年の節目の年になった。


吉井勇   1886年10月 8日生〜 1960年11月19日没
 歌人,作家。東京生れ。伯爵吉井幸蔵の次男。早大政経科中退。中学卒業後の1905年新詩社に入り,《明星》に短歌を発表,注目された。 1909年《スバル》創刊後は同人として活躍,戯曲にも手を染めた。
 第1歌集《酒 (さか) ほがひ》(1910) は,青春の情熱を奔放に歌いあげて高い世評を得,戯曲集《午後三時》 (1911) とあいまって耽美派の作風を展開した。以降紅灯の忌の情趣を享楽的に歌った《梢園歌集》 (1915),市井の寄席芸人の哀歓を写した戯曲集《俳諧亭句楽》 (1916) など,吉井勇調というべき独自の作品集を刊行し続けた。
 1926年家督相続。歌集《人間経》 (1934) は現実の苦悶から生まれ,歌風の転機となった。爵位返上,妻との離別,土佐隠棲などの変動期を経て,1938年に2人目の妻とともに京都・北白川周辺に移り住み,新生活を始める。この頃から祇園に通ったといわれている。戦後,歌会始選者や芸術院会員となり,60年に肺癌で没するまで文筆を廃さず,各地の旅行も楽しんでいる。晩年の代表作に小説集《蝦蟆鉄拐 (がまてつかい) 》 (1952),歌集《形影抄》 (1956) などがある。

祇園甲部
 京都の五花街(ご・かがい)の一つ。五花街とは、「祇園甲部」「先斗町」「宮川町」「祇園東」「上七軒」をいう。舞妓・芸妓がいる花街です。なお、「島原」の花街には太夫(たゆう)がおり、舞妓・芸妓はいない。

「かにかくに」(新村出編 広辞苑第4版 岩波書店)
 『副』 とやかくと。あれこれと。いろいろと。万葉集第四巻「ー人はいふとも」

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(2005.11.16)

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