11月 京の風物詩 祇園小唄祭2005

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高画質写真展示ツールVer3 javaScript製作:QPON・宮本様からお借りしました。
 
京の風物詩  祇園小唄祭  

 2005年11月23日(水) 午前11時30分〜。 京都市東山区の円山公園・瓢箪池西北角にて。

平成15年以降は、京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団)が主催。舞妓も五花街(ご・かがい)から毎年交代で、今年は先斗町から。5年続けてきていただければ5花街の舞妓が見れますというような挨拶もありました。

(平成14年11月23日 第1回祇園小唄祭に際、歌碑の側に立てられた京都市長名の高札から。)
 祇園小唄は、長田幹彦(1887〜1964)が昭和初期に祇園のお茶屋「吉(よし)うた」で作詞し、佐々紅華(1886〜1961)が作曲、マキノ映画「絵日傘」(昭和5年)の主題歌として全国的に大流行し、不滅の名曲となりました。
 また4世井上八千代師の振り付けで祇園の芸舞妓さんがお座敷で必ず舞うようになり、京の花街を代表する舞踊になっています。
 歌詞が誕生した縁で「吉(よし)うた」2代目女将お龍さんが長年奔走し、京都市・京都新聞社・祇園甲部を中心に各界が集まり、昭和36年11月23日、長田幹彦自筆のこの歌曲碑が、佐々紅華の譜面銅板とともにここに設置されました。
(当日配布されたリーフレットから抜粋 挿絵もリーフレットから)
 「祇園小唄祭」 平成14年に発足しました。 祇園小唄・歌曲碑は、京情緒を美しく歌い上げたこの曲を後世に伝えるとともに観光京都の新しい記念像として建立されました。

 歌碑の設計者は洋画家和田三造画伯、幹彦直筆の文字は七色に彩られ、れき石にはめ込まれた銅板にはこの曲の楽譜が記されています。
 季移り、時は流れて近年、この碑の存在を知る人も少なくなりました。そこで各界の有志が集まり日本の名曲「祇園小唄」の功績を改めて顕彰しようと、往時の除幕式と同じ日の11月23日、京都府前知事、京都市長出席のもと「祇園小唄」祭はとり行われました。 

(祇園小唄 歌詞 1番)
♪ 月はおぼろに東山 かすむ夜毎のかヾり火に 夢もいざよう紅桜
しのぶ思いをふりそでに 祇園恋しや だらりの帯よ ♪
長田幹彦 (ネットで大百科 世界大百科事典他インターネットで検索)
 1887‐1964 (明治 20‐昭和 39)
 小説家。東京生れ。劇作家の秀雄は実兄。早大英文科在学中の 1909 年《スバル》同人となったが,一時学業を放棄して北海道各地を放浪し,帰京後その体験に取材した《澪 (みお) 》 (1911) を《スバル》, 《零落》(1912) を《中央公論》に発表,世評を得た。 12 年早大を卒業,京阪地方に赴き,園に滞留して,その界隈の独特な情緒とそこに生きる舞妓たちの運命を,多くの作に描いた。それらを収めた《園》 (1913),《鴨川情話》 (1915) その他はいわゆる情話文学として世にもてはやされたが,やがて通俗作家へと傾斜していき,文壇から離れた。戦後の作に《小説明治天皇》 (1950),回想録《青春時代》《文豪の素顔》などがある。
 ほかに《島の娘》など歌謡曲の作詞も多い。晩年は心霊学に関心をもち超心理現象研究会を主宰した。


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(2005.12.24)

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