| 伏見五福 | 五福の社寺 | 三社詣 | 紫式部 | 六阿弥陀 | 三珍鳥居 | 西大路七福社 |
| 源氏物語千年紀にあたり、紫式部のゆかりの地を訪ねて。(京都市内) | |
| @大徳寺真珠庵 北区紫野大徳寺町 | 紫式部が産湯をつかったとのいい伝えがある |
| A廬山寺 上京区寺町通広小路上る北之辺町 | 紫式部の邸宅があった場所 |
| B梨木神社 上京区寺町通広小路上る | 源氏物語の「花散里」邸に擬せられている |
| C京都御苑 上京区京都御苑 | 源氏物語に数多くでてくる場所 |
| D片岡社 北区上賀茂本山 | 紫式部が詣でた上賀茂神社の摂社 |
| E雲林院 北区紫野雲林院町 | 紫式部が晩年過ごしたといわれている |
| F紫式部墓地 北区紫野西御所田町 | 室町時代から墓地として確認されているが・・・ |
| G千本ゑんま堂 上京区千本鞍馬口下る | 紫式部の供養塔がある |
![]() 左の地図は道順です。 |
| 京の風物詩 紫式部ゆかりの地2008 | |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
大徳寺真珠庵 一般拝観を受付ていない。紫式部が生まれたとき、ここの井戸水を産湯にしたといういい伝えがある井戸がある。 紫式部ではなく、和泉式部が産湯を使った井戸だという説もある。 廬山寺 この地は、平安時代、紫式部の父方の曾祖父であり堤中納言と呼ばれた藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)の邸宅・堤第(つつみてい)があった場所。紫式部は、この地で育ち結婚生活を送り、『源氏物語』や『紫式部日記』『紫式部集』を執筆したと伝えられている。 藤原北家の出で、女房名は「藤式部」。「紫」の称は『源氏物語』の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部省の官僚・式部大丞だったことに由来する。また、紫は晩年過ごした紫野からともいわれている。 なお、廬山寺は、天正十九年(一九五一)に豊臣秀吉の政策によって紫野の方からこの地に移建された寺院であって、紫式部邸とは無関係である。 梨木神社 紫式部邸の近くにあり、源氏物語の「花散里」邸に擬せられている。 京都御苑 平安京が舞台となっている『源氏物語』にはさまざまな場面に京都御苑やそのなかの施設が登場する。また紫式部が夫の死後、この京都御苑に宮仕えしていたという記録も残っている。 片岡社 上賀茂神社の摂社。縁結び、子援けの神として有名。新古今和歌集に片岡社を詠った和歌があり、紫式部も詣でた。 雲林院 元は淳和天皇の離宮であった紫野院。僧正遍照が寺に改め栄え、桜の名所として知られた。紫式部が晩年を雲林院で過ごしたという。雲林院は源氏物語でも登場する。 紫式部の墓 紫式部の墓に関しては、雲林院の白毫院の南にあるという所伝が室町時代からある。 生年は、天録元年(970 )・ 天延元年(973)・ 天延2年(974)・天元元年(978)の4説があり、没年は、寛仁三年(1019)・長元四年(1031)の2説がある。 本名は、藤原香子(たかこ・こうこ・ごうこ)との説もある。 紫式部供養塔 1386年(至徳3年)、圓阿上人よって建てられた「紫式部供養塔」がある。十重の石塔で高さ6m。重要文化財。 紫式部供養塔は、雲林院の末院で雲林院村の東南に位置していた白毫院にあったが、応仁の乱で荒廃し、天正年間に千本ゑんま堂(引接寺)に移さたと伝わっている。 千本ゑんま堂は、小野篁(おののたかむら)を開基としている。小野篁は平安時代初期の公卿、文人であり、この世と地獄を行き来したという伝説をもつ人物でもある。 |
| (2008.12.16) |